80年目の沖縄慰霊の日 歴史修正許さず、平和の希求を|全国商工新聞

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 6月23日は、第2次世界大戦末期に激烈な地上戦がたたかわれた沖縄戦の終結から80年目の「慰霊の日」です。
 沖縄県は、第32軍司令部の牛島満司令官と長勇参謀長が自決した日を日本軍の組織的戦闘が終結した時点とし、「慰霊の日」を条例で定め、1965年から毎年この日に追悼式を実施しています。
 沖縄戦では、「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の空襲や艦砲射撃が容赦なく住民に降り注ぎました。犠牲になった一般県民は4人に1人、9万4千人に及び、日本の軍人・軍属、米軍を合わせた戦没者は20万人を超えています。
 日本軍は国体(天皇制)護持を至上命令とし、本土決戦を遅らせるための徹底抗戦を繰り広げました。多くの住民が巻き込まれ、「捨て石」にされました。兵士不足を補うため、徴兵年齢に達していない男女学徒も根こそぎ動員されました。日本兵は住民から食料を強奪し、壕から追い出しました。泣きやまないからと乳幼児まで殺害し、肉親同士を殺し合わせる「集団自決」を強要しました。こうした蛮行は、すでに史実となっています。
 米軍は1945年6月、沖縄戦の間に住民の住居や畑、学校や役場を奪い、普天間飛行場を造りました。その移転のために、日本国民の血税で辺野古新基地建設を進める暴挙を許すわけにはいきません。自公政権が大軍拡を強行する中、戦争を美化し、歴史を修正しようとする動きが相次いでいることも重大です。
 日本軍司令部があった首里陥落を前に、軍民混在の持久戦を指揮した牛島司令官の辞世の句を陸上自衛隊第15旅団(那覇市)がホームページに掲載し、中谷元防衛相は「平和を願う歌」だと美化。自民党の西田昌司参院議員(京都区選出)は那覇市での講演で「ひめゆりの塔」の展示内容を「歴史の書き換え」と述べ、開き直っています。
 こうした中で迎える今年の「慰霊の日」は、特別重要です。「戦争による惨禍が再び起こることのないよう、恒久の平和を希求するとともに、先の大戦で亡くなった戦没者のみ霊を慰める」ために開かれる「慰霊の日」の意味を胸に刻み、戦争への動きを阻止する運動を大きく広げることが求められます。

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