勇気と連帯が社会を変える(下) 国際ジャーナリスト・伊藤千尋さん|全国商工新聞

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「押し付け憲法」は誤り

 1933年、日本で「滝川事件」が起きました。京ゆきとき都大学の滝川幸辰教授が発表した『刑法読本』の“刑罰だけで犯罪はなくならない、社会環境を良くしないと駄目だ”との学説が「無政府主義」的で当時の天皇制の価値観に合わないという理由で、滝川教授は首になりました。
 今も、同じことが起きています。日本学術会議が推薦した会員候補のうち、6人を認めなかった。自分と考え方が違う人を排除する。それをしたのが、菅政権です。
 その政権が、平和憲法を壊そうとしています。「アメリカから押し付けられた」と言いますが、押し付けられたのではありません。憲法9条を考えた人は、幣原喜重郎という首相です。彼はこう考えました。
 「多くの国が原爆を持つようになった。いったん、戦争が始まると、原爆が飛び交い、原爆を持っている国だけではなく、世界中が滅びてしまう。平和を維持するには、軍縮しかない。しかし、世界は軍縮どころか、軍拡に突き進んでいる。これを変えるには、どこかの国が、率先して軍備をなくすことだ。それに共感する国が必ず増える。世界を平和にするには、この道しかない。日本は今、その位置にいる」
 そして、マッカーサーに直談判に行ったのです。その時のことが、46年1月24日のマッカーサーの日記に記されています。
 「この日、幣原喜重郎がGHQ本部を訪ねてきた。彼は、3時間にわたって私を説得した」と。「このまま軍拡に突き進むと、あなたの国も滅びる。そうならないために必要なことは、日本に平和憲法をつくることだ。歴史の偶然は、日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えた。日本が自発的に戦争を放棄することが世界を救い、アメリカをも救う唯一の道だ」
 彼は戦前、外務大臣を務め、「幣原外交」と呼ばれた平和外交を進めました。軍部はそれを気に入らなくて、彼は失脚しました。その経験があったため、彼はマッカーサーに一言付け加えました。「私が今、平和憲法を言い出したら、必ずつぶされる。だから、あなたが言ったことにしてくれ」と。マッカーサーはそれを了承し、アメリカ発案になったわけです。その記録が、国会図書館に残っています。「アメリカから押し付けられた」というのは大間違いです。日本の政治家が憲法9条を発案したことに、誇りを持ちたいと思います。

世界に根付く憲法9条

グラン・カナリア島のテルデ市にある憲法9条の記念碑
トルコ共和国のチャナッカレにある憲法9条の記念碑

 世界は、憲法9条をどのように見ているでしょうか。
 アフリカ沖に、スペイン領土のカナリア諸島があります。グラン・カナリア島にあるテルデ市に、憲法9条の記念碑があります。白いタイルに、スペイン語で憲法9条が青い文字で焼き付けられています。
 記念碑を思い付いたのは、当時のサンチャゴ市長です。「町の真ん中にできた空き地を、平和を考えるための広場にしよう。ヒロシマ・ナガサキ広場という名前を付けたい」と考えました。さらに「世界が平和になるためには、世界の全ての国が軍隊をなくせばいい。その第一歩を日本が踏み出し、憲法9条が人類史上、初めてつくられた。それを記念する記念碑を置こう」と市議会に提案し、満場一致で採択されました。
 トルコ共和国のチャナッカレの町にも、憲法9条の記念碑があります。
 日本国内にもあります。僕が確かめたところ、現在23あり、24番目が間もなく都内にできます。
 今年5月3日、埼玉県春日部市に憲法9条の記念碑ができました。
 沖縄にも、憲法9条の記念碑が七つあります。「あの戦争の悲惨さを二度と繰り返さない」という誓いを忘れさせないための記念碑です。憲法9条を守ることは、政治を変える運動につながっていきます。
 皆さん、友達を増やして、この日本を変えていこうではありませんか。自分たちのために、そして、子、孫のために。僕は今、強く訴えたいと思います。


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