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  トップページ > 税金のページ > 徴税攻勢 > 全国商工新聞 第3161号3月23日付
相談は民商へ
 
 
税金 徴税攻勢
 

岡山・倉敷民商事件 最終弁論で無罪主張

弁護団が行った最終弁論(要旨)

 税理士法に違反したとして倉敷民主商工会(民商)の小原淳事務局長と須増和悦事務局員が逮捕・起訴された事件で、弁護団が行った最終弁論(要旨)は以下の通り。

【事件の本質】
 〈事実経過〉
 13年5月21日、広島国税局収税官吏(収税官吏)が大挙して倉敷民主商工会(倉敷民商)事務所の捜索・差し押さえを行った。倉敷民商の会員であったI建設株式会社に係る法人税法違反の嫌疑に限定されていたが収税官吏は、被疑事実と関係のない倉敷民商事務局員の手帳、会員の確定申告書控え、さらには事務所にあった全てのパソコンまでも持ち帰った。
 翌14年1月21日、広島国税局、倉敷警察署、岡山地検は、倉敷民商事務所、事務局長・小原淳さん、事務局員・ 屋町子さん、同・須増和悦さんの自宅などに対する捜索・差し押さえを行った。この時初めて税理士法違反の被疑事実が加えられている。
 この捜索・差し押さえに引き続いて 屋、小原、須増さん3人の逮捕勾留が行われ、 屋さんが法人税法違反と税理士法違反で、小原、須増さんが税理士法違反で公訴提起がなされた。
 他方、一連の強制捜査のきっかけとなり、違法性の強いI建設による法人税法違反(脱税)の実行行為者であるI建設の代表者とその妻は身柄拘束さえされていない。倉敷民商から全てのパソコンを押収したのと対照的にI建設のパソコンは押収せず、そのデータと印刷物を提出させただけだった。
 〈本件は民商活動に対する弾圧〉
 小原、須増さんが行った行為が仮に有罪であったとしても形式犯に過ぎない。本来であれば事前に注意し、なお繰り返したような場合に初めて強制捜査や公訴提起を行うべき性質の行為である。
 広島国税局や検察による一連の行為が、中小業者の営業と生活を守る倉敷民商と、その先頭に立ってきた3人の事務局員の活動を妨害する目的で行われたことは明らかである。

【民商・全商連の結成と運動の歴史的意義】
 〈税務当局による民商運動に対する弾圧の歴史〉
 1960年の岸内閣の下、多くの国民の反対を押し切って「日米新安保条約」が締結された。その混乱を引き継いで登場した池田内閣は、公共投資を主体とする「積極財政」を標榜して大衆的な課税強化の方針を打ち出した。その方策の一つとして「国税通則法」(通則法)の制定に乗り出した。
 目的は課税権の強化で、「実質課税の原則」「質問検査の強化」「記帳義務の徹底」などが特徴的であった。
 これに反発する世論が急速に高まった。なかでも全商連・民商の反対運動が際立っていた。その運動の広がりを前に大蔵省主税局も大幅な後退を表明してようやく法案成立にこぎつけ、62年4月に施行された。
 法案の重要な部分を断念せざるを得なかった税務当局は、この時を境に全商連・民商と全国税労働組合の組織破壊になりふり構わず乗り出すことになった。
 防衛庁経理局長から国税庁長官に就任した木村秀弘長官は63年5月、国税局会議の席上でも「3年以内に民商をやっつける」と宣言した。同年5月、各局長あて国税庁長官の「納税非協力者」(民商会員を指す)に対する調査の徹底を指示する秘密通達が発せられた。
 〈いわゆる「協力団体」の存在と役割〉
 民商弾圧に乗り出したものの、脱会させた元会員の受け皿の必要に迫られた税務当局は、青色申告会(法人は法人会)に着目してその役割を果たさせようと考えた。当初は税理士法50条(「臨時税理士」)の活用を企図したが、税理士会から強い反発を受けることになった。
 そこで63年10月30日、国税庁長官(木村秀弘)が全国青色申告会総連合会会長と日税連(日本税理士会連合会)会長を招き、三者の連署による「小規模納税者に対する税務指導に関する了解事項」と題する和解(示談)書に類する文書が取り交わされた。これが「三者協定」である。
 その協定は明確な根拠もなく今日に引き継がれている。零細事業者を青色申告会(青申会)に取り込ませることによって、民商の影響力を減殺することを意図したことは明らかだ。
 青色申告会などいわゆる「協力団体」の「申告指導」の実態については、税理士の実質的な関与はない。その場に動員されても税理士として就業したといえる関与の実態は認められない。いわば「アリバイづくり」である。
 〈民商・全商連運動の歴史的役割〉
 民商・全商連がめざす運動の目的は、税務の面で見るならば税制・税務行政の民主化である。全国各地で重要な判決を得ており、これが税務行政の民主化にとって重要な役割を果たしている。
 特に広田事件最高裁第三小法廷決定は、質問検査権の行使について、総括的な見解を示し、国税庁の税務運営指針等に重要な影響を及ぼしたものとして注目される。

【憲法論について】
 憲法は第84条において「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と規定している。国家財政に対する国民の代表機関である議会による民主的統制を定めたものであるが、究極的には主権者である国民に由来する。
 国税通則法は、国税についての基本的な事項および共通的な事項を定めたものであるが、納付すべき税額の確定方式について納税者による申告納税制度を定めている。
 同制度は、憲法上の国民主権原理の租税法的展開を意味しており、参政権が国民主権原理に立つのと同様、申告納税権は主権者である納税者の基本的人権である。
 申告納税制度の下、申告納税権を実質的に制限し、刑罰を課す立法については、納税者の申告納税権の実質を損なうことのないように限定的に解釈される必要がある。

【税理士法第59条・第52条の解釈論】
 税理士法は税務の専門家である税理士が、「申告納税制度の理念にそって」納税者を援助することを通じて、法令に規定された納税義務を適正に実現し、申告納税制度の円滑、適正な運営に資することを期待して設けられたとされている。
 「申告納税制度の理念にそって」とは、申告納税制度が国民主権原理に立ち、財政の民主主義的運営を目的とするものであるから、納税者の申告納税権を尊重することを意味することになる。
 税理士法第59条、第52条で保護しようとする法益が、税理士の利益や税理士業務ではないことに争いはない。保護しようとする法益が法令に規定された「納税義務の適正な実現」であるとしても、それは申告納税制度の理念にそって図られる必要がある。
 さらに適正な納税義務の実現は本来、所得税法、法人税法、消費税法などの租税法で図られる法構造になっていることに照らすと、非税理士の税理士業務に一律に罰則をもって臨むことは、憲法上保障された申告納税権を侵害するものとして適用違憲となる。
 したがって罰則規定は、非税理士が税理士業務を通して納税者に働きかけ、申告納税権の適正な行使を妨げ、納税義務の適正な実現を実質的に侵害する場合に限定して適用すべきことになる。

【限定解釈論】
 税理士法2条が掲げる「税理士の業務」(「税務代理」「税務書類の作成」「税務相談」)は、まさに税理士が行う「業務」を記載している。それをそのまま犯罪構成要件に取り入れるとすれば、過度に広範な処罰へと導くことになる。
 とりわけ「税務書類の作成」は、税理士しか行うことができない業務ではない。申告納税制度の下で、誰もが行っている行為である。
 相談に来た納税義務者に助言をし、その要望に従って申請書類を代筆したとしても、その申請書類は申請者の文書(真正文書)であって、内容が適正であれば、何らの問題も生じないはずである。
 しかし税理士法59条1項3号(同法52条)は形式上、そのような全く無害な行為の処罰を含み得る規定となっている。ところで、行政刑罰法規の適用に当たっては、限定的で厳格な解釈が必要とする理論(「実体的デュー・プロセス理論」)により、憲法31条に反するものとして本来、非犯罪化の対象となるべきものである。
 しかし、その非犯罪化が達成されていない現在、必要なのは「可罰的違法性の理論」の観点から、処罰に値する違法性の程度に達しているか否かの問題として、限定的に解釈することである。
 税理士法59条1項3号(同法52条)の解釈にあたっては、弁護士法72条に関する最高裁大法廷判決を参考に、その対象を「私利を図ってみだりに他人の『税務処理』に介入することを反復するような行為」に限るべきである。「社会生活上、当然の相互扶助的協力をもって目すべき行為」が処罰の対象とされるべきではない。
 本件で問題となった行為のうち、少なくとも非税理士が「内容が適正な書類の作成」に協力した(代筆を含む)場合は、明らかに処罰に値する違法性の程度に達していない。そのような場合まで、本罪の処罰対象とすることは、刑法の基本原則に反しており、許されるべきではない。

【被告人小原淳の行為】
小原さんの行ったことは、決して税理士法違反として問われるべき類いのことではない。
 その作業のほとんどは、小原さんの判断が介在しない機械的な転記、パソコンへの入出力作業なので、そもそも税務書類の作成に当たらない。
 一部だけ小原さんの判断が介在するものについても、減価償却の計算は計算書類の作成に過ぎない。簡易課税の事業区分や専従者控除の計算などは、国税庁の作成した手引きやホームページなどを見れば一目瞭然のものであり、小原さんが専門的知識で作成したものとは到底言えない。
 仮に、小原さんの行為が税理士法違反として処罰されるならば、結果として、主権者である国民がお互い国家の税制の仕組みを教え、申告時に助け合ってはいけないことになる。
 苛酷な税の徴収とたたかっていくには、主権者である国民はお互いに助け合い知恵を出し合う必要がある。今回の小原さんの行為は、経済的に税理士を依頼することができない零細な業者が、小原さんのサポートにより税金を適正に申告しただけのことである。
 もし、裁判所がこの小原さんの行為を処罰するのであれば、正に「苛政は虎よりも猛なり」という結果となることに留意すべきだ。 【被告人須増和悦の行為】
 須増さんの行ったことは、決して税理士法違反として問われるべき類いのことではない。素人が一から電卓をたたいて計算するとなれば、その後の検算能力からしても誤った申告がなされる可能性は高いといえよう。また、日々変わる税率の変化などは専門家でないとフォローしきれないこともあるであろう。しかしながら、かかる事態は今日、申告書ソフトが全て対応してくれる。
 法が時代の趨勢についていけないケースは多々存在している。これらの条文を現在の立法事実に照らして、その意味を限定解釈するのが、まさに法の番人たる裁判所に課せられた使命である。

【税理士法の基本的な問題点】
 〈税理士法を検証する新たな視点の必要性〉
 本件では税理士法52条違反の罪が問われている。犯罪の成否を検討するに当たり、その根拠法の由来と本質を見極める必要がある。
 太平洋戦争に突入した1942年、ぼう大な戦費を調達するため課税強化の必要に迫られた東条内閣が、税理士の前身に擬せられる「税務代理士」の制度を創設した。その目的は、賦課課税の制度の下で収税官吏の前歴者を税務行政推進の補助者として動員するところにあった。
 戦後、賦課課税に代わる申告納税方式がわが国の税制に導入された。納税義務は、納税者の確定申告により確定するのが原則とされ、申告に誤りが認められるときに限り、税務署長の調査したところに従って補完的に更正(補正)される。納税者の申告に納税義務の確定効を法的に認めたところに申告納税方式の真価があった。新憲法の国民主権の理念に合致する民主的な制度と評価されることは当然であろう。
 しかし、立法(旧法)ではその目的は実現されなかった。それが現行税理士法に引き継がれている。
 課税権力の「聖域保全」の欲求が、税理士法の構造全体を歪めている。税理士法52条もその埒外ではない。
 税理士業務の独占の規定は、税理士の特権を保障するごとく見えるけれども、権力による税理士に向けた管理や統制と表裏密接な関係の下で設けられている。
 税理士法は、税理士に対する多くの「義務」と「責任」を定めている。そして税務当局の監視と監督の下に置かれている。懲戒権は財務大臣(かつては国税庁長官)にある(45条、46条)。監督権は国税庁長官にある(55条)。その実務は所轄の「税理士専門官」の職責とされている。従って税務当局の支配の下で認められた「権益」の域を超えるものではない。その構造と本質に留意すべきである。もとより申告納税制度との整合性もない。税理士法59条1項3号の罰則も同様である。
 このようなゆがんだ法規が、わが国の憲法の基本原理に照らして正当性を保ち得るであろうか。それが根源的に問い直されるべきである。

【中小零細事業者における税務申告について】―― 略

【総括(むすび)】
 〈弾圧の意図に基づく差別的な立件(公訴棄却論)〉
 本件に特有の、そして看過し難い重大な問題があることをまず指摘しなければならない。
 いわゆる青申会など「協力団体」において、税理士資格を持たない職員などが恒常的に申告書の作成に関わっているそれらの無数の行為については、これまで何ら刑事責任を問われた形跡が全くない。むしろ前述の「三者協定」により督励までされている。
 このことは、税理士資格のない者が関与した「税務書類の作成」について、税理士法52条、59条1項3号を適用する余地がないことを明らかに裏付けている。
 ところが、本件に限って、これら税理士法の条項と罰則が発動されて民商の事務局である2人が逮捕、勾留、起訴され、弾劾の席におかれている。この公訴権に関わる差別的な取り扱いは極めて異常というほかない。
 冒頭で指摘したように、I建設の法人税法違反と関係のない小原、須増さんのパソコンを押収し、そのデータを税理士法違反に利用した。I建設関係者には査察官や検察のストーリーを丸のみさせる代わりに身柄拘束をせず、業務に必要なパソコンも取り上げなかった。
 他方、倉敷民商の活動を担う事務局3人を身柄拘束し、パソコンの返還も応じていない。倉敷民商の業務妨害を狙っていることは明らかである。
 本件の訴追の実質は、課税権力が民商の組織と活動に対する政治的な意図に基づく弾圧にある。そのことを裏づけて余りあると言わねばならない。本件起訴は公訴権の濫用であり、その違法性は明らかである。
 よって実体的な判断を待つまでもなく、公訴棄却の判決がなされるべきものである。
 〈訴因に係る本件行為は犯罪に当たらない〉
 税理士法52条は、税理士業務として「税務書類の作成」を掲げている。検察官は、小原、須増さんの行為がこれに該当すると主張する。
 しかしながら「税務書類の作成」は、申告納税方式の下で事業所得がある限り国民の誰しもが行うべき行為であって、これを全て職業的な専門家の職務に委ねるべき合理的な理由は何もない。
 そもそも申告書の作成自体が、税務行政の円滑に資するものであり、それを阻害する要因となり得るはずのものではない。現に本件で見ても訴因にかかる申告書に何らの問題も指摘されていないのである。
 それでは同法52条が「税務代理」とは無関係に、「税務書類の作成」自体を資格者に限定して許容する理由があるのか。同法59条1項3号が無資格者の関与を処罰(2年以下の懲役又は100万円以下の罰金)する理由があるのか。その罰則は何を保護法益としているのか。
 税理士による報酬独占の権益保護か。それはあり得ない。私益は、罰則の裏付けをもって保護すべき行政的な取り締まり法規の目的とは無縁と言わざるを得ないからである。
 起訴された2人の行為は、会員が提供するデータを、パソコンに打ち込む手助けにすぎない。それが実態である。
 そもそも申告書は、会員本人の署名押印によって完成するのである。これが本人以外の者による税務書類の作成に当たらないことは明らかである。その点でも税理士法違反成立の余地がない。
 行政法規違反の罪の適用に当たっては、その具体的な行為が、当該法律が求める法益保護との関係において実質的に損なうものと言えるのかどうか、その法益侵害の有無と程度について厳密な検討を求める方向性が示されている。これが判例の趨勢にほかならない。
 罪刑法定主義と適正手続保障を定めた憲法31条の趣旨に照らしても、本件に税理士法59条1項3号の罰則を適用することは許されないと言わなければならない。
 仮に税理士法52条との関係が問われるとしても、せいぜい税理士資格を有しない者が税理士になりすまして、代理人まがいを業とする行為を取り締まりの対象とし処罰すれば「納税義務の適正な実現」の要請に応えるものとしては十分であろう。それを超える刑罰は不要である。税理士業務の独占を保障する本来の法の趣旨に照らすならば、「税務代理」のみが重要なのであって、それをもって法的な保護に値する可能性のある「税理士業務」と把握されるべきである。
 したがってそれと関わりのない「税務書類の作成」に限った行為を捉えて刑事罰を発動させる必然性や合理性は考えられない。
 こうした見地に照らすと、可罰的な違法性を欠くことは明らかであって、2人の行為について税理士法59条1項3号を適用することは、その点においても許されないと言わなければならない。
 本件で被告人とされた小原さんと須増さんの行為は、いかなる観点から検討しても税理士法違反の罪が適用されるべきものではないことは明らかである。
 よっていずれも無罪が言い渡されるべきである。

全国商工新聞(2015年3月23日付)
 

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