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「栗生楽泉園」でハンセン病の歴史学ぶ 差別の過ちを繰り返さない=東青協

 「無知に基づく差別や偏見を国が煽って根深くすることがある。国策によって人権や生命、人生をも奪われたハンセン病患者の歴史を知り伝えてほしい」-東商連青年部協議会(東青協)は3月19日、群馬県草津市の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」でハンセン病の歴史(注)と患者のたたかいを学習。A議長=精肉・総菜=はじめ、部員の家族など9人が参加し、元患者からのメッセージを胸に刻みました。
 元ハンセン病患者のKさんの証言を聞き、園内にある資料館を見学しました。Kさんが楽泉園に連れてこられたのは1949年、11歳の時。Kさんは「ある日突然、白衣を来た保健所職員が家を訪れ、父と共に、感染していることが発覚した。思いつめた父は私の体に石を巻き付け一緒に入水自殺を図ろうとしたが、私の泣き声に気づいた母が止めたことで思いとどまり、療養所に入るという苦渋の決断をした」と語りました。

治療よりも収容 憲法無視の環境
 当時の法律「癩予防法」はハンセン病患者の疑いのある人を密告することを奨励しており、突然、強制収容される事例は日本中でみられる光景でした。また、それを目にした近隣住民からは「あの家は『らい』を出した」と、患者の家族まで差別の対象になったといいます。
 「私が入所したころは治療薬も開発され、治る病気だったが、療養所の環境は劣悪で評判は最悪だった」とKさん。連れていかれた療養所で目にしたのは極寒の中での強制労働や、優生思想に基づく不妊手術、療養所とは名ばかりの治療環境など、人権を保障した日本国憲法に反する数々の待遇でした。不平を口にすると、職員から「涼しいところに連れていってやろうか」と、「重監房(特別病室)」(収監者93人中23人が死亡、1947年に廃止)に入れることを示唆され、脅された人もいたそうです。
 Kさんは「いまだにハンセン病のことが正確に知られておらず、元患者たちがいわれのない偏見や差別に苦しんでいる。病気のことを正しく知ってほしい」と語り、「ハンセン病患者に向けられた無知による差別・迫害、国家による扇動は他のことでも起こりうる。歴史を知らなければ人間は同じことを繰り返す。このことを胸に刻み、一人でも多く周りの人に伝えてほしい」と訴えました。

差別はいつでも起こり得る危険
 清瀬久留米民商青年部のNさん=建築=は「初めて知り驚いた。これからもハンセン病のような差別が起こるかもしれない。二度と起こさないでほしいというメッセージを受け止めたい」と話し、妻のMさん=看護助手=は「突然、家族と引き離され、強制労働や迫害の日々が始まるということを、もし自分に同じことが起きたらと想像しながら聞き、怖くてたまらなかった」と語りました。
 今回のツアーは昨年、同施設を訪れた東青協のW副議長とI副議長が、青年部の仲間にも知ってほしいと2泊3日で計画したもの。学習と合わせて、草津温泉の湯畑や温泉街を散策、19日の日中は草津国際スキー場の大自然でスキーを楽しみ、交流を深めました。

※ハンセン病とは
 近年では年間6人ほどしか発症せず、国内での感染は皆無。感染力が非常に弱く、完治する病気にもかかわらず、科学的見地や事実に反した「予防法」が1996年まで取り続けられたこと、顔や手など外見に表れる症状への恐怖心から、社会的な誤解と差別が根強く残っています。治療が遅れ後遺症が残った元ハンセン病患者は、社会復帰の道を閉ざされたまま、いまでも療養所での生活を余儀なくされています。

全国商工新聞(2017年4月3日付)

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