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  トップページ > 震災情報のページ > 全国商工新聞 第2981号 7月 4日付
 
 

東日本大震災救援 被災地に船がやってきた=広島・福山

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ガッチリ握手を交わす福山民商の加賀副会長(左)と陸前高田民商の佐藤会長

 「来たぞ」「船だ」―。6月4日午後2時過ぎ、岩手・陸前高田民主商工会(民商)の仮事務所に漁船を載せたトラックが到着しました。届け主は1300キロ離れた広島・福山民商。漁師の思いが込もった一昼夜かけての贈り物です。

船を見るのはいいもんだ
 全長8メートル、幅約2メートル、重さ1トンの漁船を載せた8トントラックが仮設事務所のある坂を上ってきました。出迎えた岩手県連の武藤利道副会長、陸前高田民商の佐藤吉朗会長ら10人から、期せずして大きな拍手が起こりました。
 船腹には「船を陸前高田市へ持って行こう」の横断幕が掲げられていました。
 引き継ぎ式で「船がなくてみんな困っていた。遠いところからありがとう。みんなの励みになる。希望の船だ」と目頭を押さえた佐藤会長。その佐藤会長と何度も握手を交わした福山民商の加賀茂副会長ら3人は「無事運び終えてホッとしました。皆さんの笑顔を見て疲れも吹っ飛んだ。段取りをして、また船を届けたい」と力強く語りました。
 久しぶりに目にする“使える船”をつぶさに見ようとトラックによじ登る漁師たち。津波に2隻の船をもっていかれた吉田敏治さんは「船を見るのはいいもんだ。立派な船、すぐ使える船だ」と笑顔を見せました。

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無料で、すぐに
 「東北に船を送れないか」―。こんな“プロジェクト”が福山民商で持ち上がったのは5月半ば。震災から2カ月過ぎたころでした。「船がなくて漁師は働きたくても働けない。船を何とかできないか」。全商連を通じて伝わってきた現地の要望でした。
 話はすぐに広がりましたが、高いハードルが。プロジェクトを呼びかけた加賀茂副会長の条件は「無料で、すぐ使えること」だったからです。
 その話を聞きつけた一人が、福山市内で有限会社丸祐水産を経営する漁師の高橋和照さんの妻・朝美さんでした。
 東日本大震災を知ったのは、夜の漁を控えた夫、子ども2人と一緒に家族だんらんの時間を過ごしていた時でした。突然切り替わった画面には黒い津波に流される家、船、車…。朝美さんは経験したことのない恐怖に身を包まれました。
 「夫も漁師だから人ごとと思えなかった。同じ漁師の家族として何かをしないといけないと強く思ったんです」
漁師の思い一つ
 船は漁師にとって家であり、命―。漁師の夫と結婚した朝美さんが深く感じていたことでした。夫と一緒になっての船探しが始まりました。知り合いの漁師、漁協にも問い合わせました。しかし「無料」のハードルは高いものでした。
 灯台下暗し―。朝美さんが福山市内の実家に寄り、船のことが話題に上ったときに、母の大本京子さんが言いました。「父ちゃんが釣りに使っている船がある。それを送ればいい」。
 民商会員でもある逸雄さん=塗装=も「向こうは生活がかかっている。わしの船が役に立つのであれば」と即決。6月1日、船を塗り直してお神酒を注ぎ、船に別れを告げました。
民商だからこそ
 「送る船は決まった。でも大変なのは、そこからの段取りでした」と加賀副会長は振り返ります。8メートルの船を運ぶトラック、船を下ろすための機材、横断幕…。「どういう会員がどんな機材を持っているか。日ごろからネットワークをつくっていなければ簡単には対応できなかった」と言います。しかもすべて無償提供です。
 出発前日に横断幕の作成を頼まれた松井正晴さん=看板=は「いつものことだよ。それに船も持っているならそれも出せというんだから、民商はすごいところだよ」と苦笑いです。
 出発式は福山民商の事務所前。その直前、同乗した商工新聞読者のFさんが、「いろいろな業種が集まっている民商だから、できることだよ」と、銅線を使ってカーナビを設置する手際のよさも見せました。

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1300kmを走破し、船を運んだ3人(左から川崎さん、加賀さん、福場さん)
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贈られた船の上で陸前高田民商の佐藤会長とお孫さん

 「すぐ使えるものを送る」「被災地に負担をかけない」―。阪神大震災でも風呂提供の実績がある福山民商の伝統でもあります。
 引き継ぎ式を終えたトラックが向かったのは民商の仮事務所から5分ほど離れた米崎町の脇の次港。港は、がれきの山で残された船はわずか3隻でした。「ほとんど流されたからね」。家も船もなくした佐藤会長はつぶやきました。
 午後3時、岸壁から10メートルほど離れた場所で船下ろしの作業開始。民商会員や家族、漁師たちも力を合わせ、40分で終了。漁師にとって命ともいえる船が福山民商から陸前高田民商に渡りました。
未来へ希望が
 「これ、じぃの船か」。作業を見つめていた佐藤会長の孫娘、あかりちゃんが声を上げました。
 久しぶりに船の中を元気に走り回る子どもたち。民商のネットワークを生かした船が漁師と、そして陸前高田市の未来に大きな希望を灯しました。

全国商工新聞(2011年7月4日付)
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