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  トップページ > 経営のページ > 経営 > 全国商工新聞 第3146号12月1日付
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経営
 

安心・笑顔あふれる介護事業所めざして=北海道・札幌

ひとりぼっちをなくしたい
 「自分をより必要としている人たちのために働きたい」-。こんな思いで24年間札幌市内で営業してきたスナックを閉じ、介護事業所の開設をめざす民商会員がいます。札幌西民主商工会(民商)副会長の後藤裕子さん。3月には介護福祉士の国家資格も取得。その挑戦の背景には「ひとりぼっちをなくそう」と呼びかける民商婦人部のスローガンと重なる自らの生きざまがありました。

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「食事の準備をしながらも耳は傾けています」と話す裕子さん

 「おはよう。来ましたよ」。化粧品販売を営みながら、在宅サービス事業所の社員として働く後藤さんのいつもの言葉です。
 訪問先は介護が必要な障害をもった人たち。この日訪ねたのは整体院を経営する札幌西民商元会長の千田喜美男さん(83)。1年前、両肩を骨折し長期入院した千田さんは退院後、介護保険で要支援の認定を受けました。後藤さんは週2回、朝食作りのため千田さん宅を訪問。「裕子さんは明るくて、来てくれるだけで元気になる。仕事も手際がいいよ」と太鼓判を押します。
 脳性まひの高校生の入浴では一緒に湯船に入って体を温める裕子さん。認知症で顔がひきつっているおばあさんに顔を見せると、穏やかな顔になることも。「裕子さんに任せると一番安心できる」。家族から共通して寄せられる声です。
 「みんな愛しい人たちばかり。大変なこともあるけど、家族と思って接していたら対応も自ずと決まってくるでしょう」。その言葉に気負いはまったくありません。

父を介護し福祉の道へ
 裕子さんが介護事業所の開設のため、札幌西区で四半世紀も続けたスナック「杏」を閉じたのは4年前。無借金経営で月300人近いお客が訪れる繁盛店でした。
 「ここに来るとホッとする」「お袋のところに帰ってきたみたい」「この店は人生相談所」-。お客から寄せられた「杏」の評判です。
 その店をなぜ閉じて介護事業を起こすのか-。「自分をより必要としてくれる人たちのために働きたいから」。裕子さんが口にする素直な言葉です。
 そのきっかけの一つが父・文平さんの介護でした。スナック開業から6年目、脳出血で倒れた文平さんを引き取りました。深夜12時過ぎまでママとして働きながら、亡くなるまでの10年間、毎日のように病院に通いました。故郷を離れ30年間父と離れていた裕子さん。「これで父を取り戻せたような気がした」と振り返ります。
 「より良い介護をしたい」と父が倒れてから15年間で1級ヘルパー、介護事務、移送サービス、精神・知的障害ヘルパー、介護福祉士など14もの資格を取得しました。福祉関係者も「ママをしながらこれほどの資格を取るには福祉への熱い思いがなければできないこと」と高く評価するほどです。

苦難を糧に人を励ます

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「杏」のママ時代の裕子さん

 裕子さんが民商を知ったのはママとして独立する2年ほど前。札幌のススキノのスナックに勤めていた時でした。そのスナックのママが民商会員ということもあって、商工新聞の配達をお手伝い。開業と同時に民商に入会しました。札幌中部民商から西民商が独立した翌99年には、婦人部長に就任します。
 婦人部長として新たに取り組んだのが、婦人部員一人ひとりへの誕生日カードの贈呈でした。自筆で部員への思いを込めた言葉に、和紙で折った人形を添えました。当時の部員は120人。部長就任期間10年で1200人に送ったことになります。
 この取り組みで、ある婦人部員から「10年間感謝していました」と、電話で告げられたことがあります。この女性は当時、夫ががんになり経営も行き詰まっていました。そんな時届いたのが誕生日カードだったのです。「もう一度頑張ろうと思った」。電話口から聞こえてきたのは、涙声でした。
 繁盛店のスナックのママから介護職への転身。父の介護、ボランティア、PTA活動、そして民商の活動-。走り続ける裕子さんを駆り立てているものは何か。元気な声で笑っていた裕子さんは顔をゆがめ、涙をためてこう言いました。
 「私は札幌に出てきてから本当にひとりぼっちだった」
 北海道更別村の開拓農家で生まれた裕子さん。12歳の時、7人兄妹のうち2人の兄弟が病死。その翌年、母が同じ肝臓がんで亡くなりました。自活のため、16歳で札幌に。職を転々とし、20歳で結婚。子ども3人を授かりましたが、34歳で離婚しました。
 子ども3人を抱えて過ごした孤独な時間。民商婦人部に出会った裕子さんが、自分の人生と重ね合わせた言葉がありました。「ひとりぼっちの業者婦人をなくそう」。
 誰も一人ぼっちにさせたくない-。裕子さんの生きざまの原点でもありました。
 店を閉め、最初に勤めた介護事業所で退職を余儀なくされる困難に直面。そのとき裕子さんを支えたのは婦人部員たちの励ましでした。「人を支え、人に支えられる。婦人部って本当にいいですね」。裕子さんは笑顔で言いました。
 「その人の人生の最期に傍らにいる人間でありたい」。介護の仕事に携わる中で裕子さんが心に刻んでいる言葉です。
 これからはスナックのお客の介護かな-。来年早々、裕子さんは娘の和子さん(39)とともに介護事業所を立ち上げます。

全国商工新聞(2014年12月1日付)
 
   

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