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  トップページ > 婦人部 > 全国商工新聞 第2975号 5月23日付

婦人部
 

東日本大震災 悲しみ乗り越える仲間の絆=気仙沼本吉民商婦人部


 「お互いに励まし合って震災を乗り越えよう」と宮城・気仙沼本吉民主商工会(民商)婦人部の仲間たちが元気に行動しています。連日、民商の事務所に集まり、ワイワイガヤガヤと炊き出しをしながら全国からの支援物資を会員や部員、地域の人たちに届けています。その先頭に立っているのが婦人部長の高橋文子さん=飲食。いち早く営業を再開させ、被災者を励ましています。

定食で被災者支え

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婦人部の仲間たち。笑顔を絶やさず、みんなで励まし合っています

 「全国からたくさんの支援物資が届いて、本当にありがたいね。民商や婦人部の仲間はあったかい。その気持ちを無駄にしないためにも、震災に負けずみんなと頑張る」。営業再開、救援活動にと全力を挙げる高橋さんの思いです。
 夫・秀雄さんとともに市立病院のすぐそばで軽食・喫茶「リフトパレ」を経営。和食を中心とした「500円定食」とひきたてのコーヒーが評判です。世話好きでよく気がつく高橋さんは、常連客から“お母さん”と呼ばれ、慕われています。
 震災で、高さ1メートルの津波が押し寄せ、店内は水浸しに。1週間かけて泥をかき出し、営業を再開しました。まず始めたのは炊き出し。奇跡的にも五つの冷蔵庫が壊れず、食材は無事でした。「被災した人たちは、大変だろうな」と心を寄せた高橋さんは常連客や友人、知人、店の前を通る人にも「食べて行って」と声をかけ、無料で食事を振る舞いました。
 病院帰りに食事に来ていた“透析のおじちゃん”。4時間かけて歩き、へトヘトになって市立病院にたどり着いたと聞き、うどんを軟らかくして食べてもらいました。
 透析を続けるため北海道に移ったおじちゃんから「あの時はありがとう。元気でやっている」と電話が入りました。
 また雨の降る日、80歳近い見知らぬおばあさんが傘をさして店の前に立っていたこともありました。話を聞くと通院のために1時間以上歩いて来たとのこと。「朝から何も食べてないからご飯が食べたいっていうから、おにぎりと水を出して送り出したの。うれしそうだった」と高橋さんは振り返ります。

温かい食事を

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 「命も助かり、店も自宅も残った。被災者のために、もっと何かできないか」―。そう考えた高橋さん夫妻は、営業を本格的に再開させた3月26日から4月17日まで「震災定食」を提供しました。「震災から立ち上がって、気仙沼の人たちに元気になってほしい」との願いを込めました。野菜いため、魚、天ぷらの各定食とラーメンライスの4種類をメニューにし、値段は280円。もうけはありません。「被災して温かい食事がなかなか食べられなかったでしょ。お客さんたちが喜んでくれて私も元気が出た」と高橋さんは話します。

地域に物資届け

 励まされたのは全国から送られてくる支援物資。大阪や兵庫などの婦人部からは”ひとこと”が添えられていました。連日、支援物資を仕分けし、地域の人たちにも必要な物資を届けるようにしました。
 仕事の合間を縫って民商の事務所にも出かけ、ガソリン不足が解消すると婦人部の仲間が少しずつ集まるようになりました。顔を合わせると話すのは震災のときのこと。津波にのまれながら奇跡的に助かった人がいる一方で会員・家族8人が亡くなり、18人が行方不明に。自宅や店舗を失った仲間もいます。「大変だったね」「つらかったね」と声をかけ合いました。

立ち上がりたい

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地域の人たちに支援物資を届け、喜ばれました

 「民商に来ることで心の平安を保ってきたのよ」と話すのは大塚真里子さん=飲食。息子と結婚したばかりの嫁が津波にのまれ、今年の成人式で撮った記念写真が遺影になりました。「これからというときだったのに…。店も車も流され、これからどうしていいのか分からない。でも、お客さんから、弁当をまた販売してよって言われた。なんとか立ち上がりたい」。連休から大谷海岸の「道の駅」で弁当を販売し、営業再開のきっかけをつくろうとしています。

勇気を出して
 「ムーン美容室」を経営している小山澄子さんは5月で返済が終わる予定だった店舗が流されました。「勇気を出して跡地に行ってみたら、はさみがあったのよ。お客さんも励ましの電話をくれて、これはまた店をやれってことなのかなって思った。自宅が無事だったので、そこで営業を再開するか、別の土地を見つけるか」と前向きに考えています。
 「みんな悲しみを乗り越えて営業を再開させようとしている。私も昨年12月に部長になったばかりで不安だったけど、震災を通じて婦人部の絆も強まった。希望を失わず、力を合わせて震災を乗り越えたい」と高橋さんは目を輝かせています。

全国商工新聞(2011年5月23日付)
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