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  トップページ > 震災情報のページ > 全国商工新聞 第3098号12月2日・第3099号12月9付
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復興の遅れ取り戻し原発ゼロへ連帯=福島レポート(上)

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車窓から見える放置されたままの漁船や自動車

 原発ゼロをめざす連絡会は11月4日、「全国交流集会」のオプショナルツアーとして「被災地応援・連帯ツアー」を行ないました。ツアーを通じて明らかになった原発20キロ圏内の様子を2回にわたってレポートします。

 今回のツアーでは、視察は福島市から相馬を経て国道6号線を海岸線に沿って南下し、南相馬市を経由、原発20キロ圏内に入りました。南相馬市小高地区を視察し、さらに浪江町に入りました。その先は福島第1原発が立地する双葉町と大熊町です。
 双葉、大熊の両町にまたがる福島第1原発は、約350万平方メートル、東京ドーム75個分の面積を有します。第1原発の煙突や建屋を遠望できる4キロ地点まで接近し、そしてUターン。114号線をたどり、飯館村を経て福島に戻りました。

安全な米なのに…
 途中、「福島県浜通り農民運動連合会」(浜通り農民連)の直売所「野馬土」で、同連合会の取り組みについて浜通り農民連副会長から説明を受けました。事務所隣の倉庫には放射能測定装置が導入され、全商品を検査して出荷する体制がとられていました。米も野菜も「すべて検査して公表する」を原則にしています。生産者名やバーコードが添付され、測定データを確認することができます。商品を装置に通すと10秒で測定結果がでる簡易測定器の価格は2000万円。県と国の補助で購入したそうです。
 国の出荷基準は100ベクレル以下ですが、今年収穫したコメは25ベクレル以下が99・7%、100ベクレル以下は99・9%だったといいます(輸入許可基準は370ベクレル)。「福島の米は安全」といえますが、「安い値段しかつかない」状態。耕作しないと賠償の対象にならないので、耕作が禁止されている地域以外ではどんどんつくり、賠償させようという考えです。
 その後、農民連副会長もバスに乗り込み、避難指示地域に。避難指示区域は13年4月1日から年間積算線量を基準に、「避難指示解除準備地域」「居住制限地域」「帰宅困難地域」の3区域に再編されました。三つの区域とも許可なく立ち入ることはできず、立ち入りも午前9時から午後4時までに制限されています。地域の侵入路には柵が設けられ、警察官による検問などが実施されています。
 その柵を通過すると、地域の様相が一変します。田畑は草紅葉に覆われ、3・11の津波で打ち上げられた漁船や車両があちこちに転がったまま放置されていました。1階部分が抜けた家屋や落ちた橋脚もあり、田んぼや畑の境界も定かでなくなりつつあります。原発に隣接する市街地に近づくにつれ、まるで震災直後にタイムスリップしたような風景が広がります。20キロ圏内のガレキ処理は国の責任で行うことになっていますが、「国が手をつけていないためだ」との説明を受けました。
 南相馬市は線量の関係で三つの地域が網の目状に混在しています。高線量のホットスポットもあれば比較的低い地域もあるようです。小高区内の家々は、破れた窓も崩れた壁も、落ちた屋根もそのままです。ブルーシートがかけられた屋根も目につき、セブン-イレブンなどコンビニ店舗の窓にはベニヤが張られていました。コンビニはすべて窓を破られ盗難にあったそうです。割れたビンやゴミくずが散乱しており、人っ子ひとり歩いていない街はやはり不気味です。

東電マネーの威力
 市街地を走ると、拡幅された広い道路と隣接する立派な住宅が目につきます。福島第一原発には第7号、8号炉の建設計画が進んでいたため(現在は中止)、道路の拡幅工事が実施され、立ち退いた住宅が新築されていたからです。原発立地地域にばらまかれた東電マネーの威力を目の当たりにしました。
 帰路でたどった国道114号線は、事故直後、被災者が放射性物質が北西方向に広がっているとは知らず車を走らせた道です。阿武隈山中に位置するこの中山間部は豊かな自然に恵まれた美しいところです。一時セイタカアワダチソウが生い茂り、黄色一色になったそうです。今では、さまざまな植生が混在するこの土地が目にも見えず、色も匂いもない高濃度の放射能で汚染され、長期にわたり耕作もできない、人も近づけない土地になっているのです。

復興の遅れ取り戻し原発ゼロへ連帯=福島レポート(下)

困難を極める除染

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「希望の牧場」の牛たち

 飯館村を通過しているとき、車中から除染現場を目にしました。ショベルカーで農地の表土をはぎ、袋に詰める気の遠くなるような作業です。
 しかし、せっかく削っても、雨がふればまた山から流れ込むのは避けられません。また、表面から15センチ程度とその下の15センチ程度を入れ替える「反転耕」や深く耕す「深耕」なども一定の低減効果はあるようですが、放射性物質をゼロにすることはできません。セシウムを吸収する効果があるといわれたヒマワリの作付けなども実験的に行われたそうですが、「結局、なんの効果もなかった」と、浜通り農民連副会長は話します。
 原子力規制委員会は住民の帰還の目安を被ばく線量年1ミリシーベルト以下としていましたが、「達成が難しく非現実的だ」との批判を受け、政府は数10年かけてめざす「長期目標」とし、帰還は「20ミリシーベルト以下」と緩和する方向と報じられています。20ミリシーベルトはもちろん1ミリシーベルト以下でも安心とは言えません。ホットスポットも存在します。
 「被災者は爆発直後に大量被ばくしているので、できるだけリスクは減らしたいと考えているが、山林などの除染は無理だし、線量を測りつつ、できるだけ高い地域には近づかないなど危険を避けて暮らしていくしかない。資金は被災者の生活や営業の再建に振り向けるなど有効に活用すべき」と言います。

新たな土地活用も
 では、どう展望を開き希望を見出していくのか。今、考えられているのが、太陽光発電です。ソーラーシェアリングの取り組みが全国で広がっていますが、この耕作不能地にソーラーパネルを設置する。さらに牧草などの栽培も行いバイオマス発電を進める。こうして一定の収入が入るようにして「子孫につないでいけたら」という考えです。
 耕作ができる土地では、耕作を再開し、それがだめでも土地をつないでいこうとする農民に比べ、地域密着の中小業者の困難はそれ以上かも知れません。相双民主商工会(民商)の松本寿行事務局長は「中小業者の営業の再開は1割程度で、再開できているのは東電の下請けか、復興に携わる建設関係が中心。避難先でほそぼそながら商売を始めても、地元の同業者とのあつれきが生じ、冷たい視線を感じることもあるようだ」と話します。
 最後に訪れたのは、福島第1原発から約14キロ地点にある「希望の牧場」です。
 政府は、原発から半径20キロ圏内の警戒区域内にある農家に対して家畜の殺処分を指示しました。しかし、牧場長は、「生き残っている牛たちは福島事故の生きた証人。被ばくした牛でも研究・調査の検体として生かす価値がある」と百数十頭の飼育を続け、全国にも支援を呼びかけています。
 ドイツのマスコミからは「なぜ、日本人はこんな事故があったのに原発再稼働に向かうのか、ドイツでは考えられない」と質問を受けました。答えに窮した牧場長は、「政治がこんな状況であるのは、結局は国民の責任ではないか」と考えたそうです。
 「自分はいま60歳。あと20年、生涯をかけて原発をなくすために声を上げ続けたい」と決意をしています。
 深い絶望の先にも希望を探ろう、そして福島の教訓を生かす道は原発ゼロ以外にないと頑張る農民の取り組みに連帯することの大切さを実感しました。
 案内をしてくれた、農民連副会長は、最後に次のようなメッセージを残しました。「ぜひもう一度、一人でも二人でも誘って福島に来てほしい。いまの福島を多くの人に見てもらい、感じてほしい」と。

* * *

 農民連、民商などがNPO法人を立ち上げ「20キロ圏内ツアー」を呼びかけています(連絡先Tel:0244−26−8437)

全国商工新聞(2013年12月2・9日付)
 
   

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