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  トップページ > 震災情報のページ > 全国商工新聞 第2968号 3月28日付
 
 

東北地方太平洋沖地震 被災地に支援の手を


気仙沼市

ひるんではいられない
安否確認、救援に全力

 家族、家、会社、そして街をも飲み込んだ大津波。移動手段である車のガソリンも底をつき、寒さをしのぐ灯油も日用品も食料も半日近く並んで手に入れるのがやっと。被災地の民商は「私たちはひるまない」と集まって知恵と元気を出して救命、生活支援に全力を挙げています。

生きていて
 地震と津波で壊滅的な被害を受けた宮城県気仙沼市。海岸につながる道路に立ち尽くす青年がいました。「あそこにコンビニがあったんですよ。道路も海につながっていたのに…」と遠くを見つめました。沖合いの大島に住む家族は無事だったものの、家族が不明な野球部の後輩たちもいます。「なんとか生きていてほしいんです」。

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津波で根こそぎ倒された家やトラック=気仙沼市
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震災後、始めて見る新聞に驚く気仙沼本吉民商の菅原会長(左端)と妻の三枝子さん(3月15日)
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いちご農家の赤間進さん(左端)から実態を聞く伊藤貞夫宮城県連会長(右端)と遠藤強山形県連会長(左から2人目)
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事務所に張り出された会員の安否確認状況=気仙沼本吉民商

 雪が舞うガレキの中にろうそくを探し回る姉弟の姿もありました。家は流されたものの家族は無事。今は高台の祖父の家で避難生活を続けています。「どこにいってもろうそくがない。明かりがなくて真っ暗なんです」と大粒の涙を流しました。
店や家をなくし
 多くの民商会員も店や家をなくしました。「鉄工所、土木、八百屋、作業服、ラーメン屋、お菓子、写真館、スナック…」。気仙沼本吉民主商工会(民商)の菅原均会長=建設土木=は一人ひとりの名前を挙げました。菅原会長自身、従業員10人が働く会社を津波で流されました。
 地震の直前、3・13集会で「民商が要望してきた住宅リフォームに5000万円の予算がついた。大いに仕事おこしをやりましょう」と呼びかけたばかりの菅原会長。地震直後から会員の安否確認に走り回りました。
泊り込みで
 千葉哲美事務局長(62)はその日から寝袋を持ち込んで泊り込み。事務所の壁には安否が確認できた会員の名前を書き連ねました。集会参加者は150人。その一人ひとりの会員の名前を申告書で思い起こしながらの作業でした。避難所もバイクで回りました。「それでもまだ20人が確認できていないんです」
 集会が開かれた市民会館は、今も市民が避難する高台にあります。「ここにいれば助かった。でも津波が来ると聞いて家族を助けるために自宅に戻った会員がいる。それが残念でくやしくてならない」。唇をかみ締める姿に苦悩がにじみます。
 地震と大津波で気仙沼の街は一変しました。
 基幹産業である水産業は無残な姿をさらしています。港は破壊され、船は陸の上に乗り上げました。養殖いかだも全滅。「観光もダメ。復興できるのか」という声も広がっています。
支え合う被災者
 その一方、厳しい暮らしを支え合う息吹も芽生えています。農産物をスーパーに出して被災者の生活を支える農家も出ています。食料を出し合い、それを均等に分けるグループも生まれています。
 2メートルの津波につかった店舗を片付けていた写真店主は「写真館は流されました。妻が経営する自宅兼店舗のヘアサロンも津波でどうにもならない。でもまたここでやっていきますよ。だってここが僕の仕事場だから」と笑顔をみせました。
 菅原会長は言います。「今、大事なのは明日の暮らしも大変な業者に支援の手を差し伸べること。まず三度のメシを食べるようにしてそれから復興です。ひるんではいられません」

一変した街…力合わせて

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道路もガレキで
海岸につながる道路もガレキで埋め尽くされた=気仙沼市
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救援へ
岩手・宮古民商対策本部に米や衣類などの救援物資を届ける岩手・花巻民商の会員ら(3月18日)

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生存者は
甚大な被害を受けた岩手県山田町で救出活動をすすめる地元消防団と自衛隊(3月18日)

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民商事務所も
津波に洗われた宮城・塩釜民商の事務所

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生きていて
思い出がつまった写真も=気仙沼市

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住宅地に船
津波で住宅地にまで打ち寄せられた船=気仙沼市




全国商工新聞(2011年3月28日付)
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